こんにちは、カミーです!
幼少期から文武両道に加えてハンサム! 何もせずともモテた、いわゆる人生勝ち組でした。高校・大学ともに一流校に推薦入学。バレンタインはチョコたくさん(笑)
その勢いで起業して社長になったものの、そこから一転、辛い日々が続きました。仕事を辞めたくて、「病気になったらいいのに(そうしたら仕事休める)」と毎日本気で思っていました。当然、経営もうまく行かなくなり、最終的には数千万円の赤字。家族も離散し、別居生活も始まりました。
そんな日々をどうにか乗り越えて、中国で専業主夫になり、そこから現在の「好きなことで楽しく稼げるカミー」に変わっていった過程を、すこし長くなりますがご紹介します。
秀才だけど夢迷子
東京生まれ東京育ち。ごく一般的な家庭の長男。どちらの祖父母にとっても初孫であったこともあり、誰からも可愛がられ、なんの疑いもなくスクスクととっても素直に育ちました(そして今も素直です、たぶん)。
小学校のころから成績優秀。運動もできたし、見た目もかっこいいしで、何もしなくてもモテました、なんかすみません。
テストの正解はなんでも知っていましたが、自分の将来の夢の「正解」は分からなかった。知りたかった。
だから、ひとつのことに熱中してのめり込んでいる友だちが羨ましくてたまりませんでした。
親友と呼べる深い付き合いをした友だちはみんな、熱中する趣味を持っていました。クルマ、クラシック音楽、昆虫、三国志などなど。
一方で、僕がのめりこめたのは勉強くらい。きゃ〜、出来杉君?
中学生のころからワープロを使って、テスト前には自分で模擬試験を作り、それで100点を取れるようになってから本番のテストに臨んでいました。
ものごとをまとめたり、要点を掴んだりすることはうまかったので、テストもほぼ全教科100点。しかも塾には一切通わず、学校で勉強するのみ。
テストで答えを間違ったのは、家庭科のあの問題と算数のあの問題と今でもその内容を言えるほどです。こわっ!
調子乗ってた勝ち組人生はつづく
成績優秀につき、高校・大学ともに推薦入学。しかもどちらもトップ校。
でも相変わらずやりたいことは分からないので、学校選びの基準は「つぶしの効きやすさ」でした。
そもそも学部自体に興味がないのと、「大学の授業はサボるものだ」という変な偏見があったので、大学1ー2年のときは、渋谷のベンチャー企業(と彼女の家)に入り浸ってインターンとして働いていました。起業ということに、昔からなんとなく憧れみたいなものがあったんですね。
さんざん働いて貯めたお金で世界一周旅行もしました。動機は「世界一周した」って言えたらかっこいい、っていう不純な理由でしたが…。
大学3年になってからは一転、ゼミでの研究の世界にのめり込みました。
朝から晩まで図書館という生活は当たり前。体からキノコが生えてたと思います、ほんとに。
指導教授とはさんざん飲みにいったり、遊びに行ったりもしました。指導教授のように研究職に就くことが、ひとつの将来像ように思っていました。
大学院を含めて5年間におよぶ指導教授とのかなり密な付き合いの中で、文章力(よく添削されて真っ赤にされてました)やリサーチ分析力(グラフや数値をしょっちゅう分析しては指導されてました)を徹底的に叩き込まれました。
けれど、博士課程に進むほど「これだ!」という感覚は無かった。
モラトリアムを延長するべく、イギリスの大学院修士課程に入学。さらに、その後は香港の総領事館で2年間、研究員として勤務しました。
研究員? 半分スパイみたいなものです(笑)
香港の要人に高級料理をごちそうして政治経済について聞いたり(その要点をまとめて報告する)、現地新聞の要約をやったり…私のまとめ力はこの頃にも鍛えられたのでしょう。
この時期、勤務しながらも香港大学の図書館に足繁く通い、勤務期間中に2本論文を執筆するなど精力的でした。しかし、研究者という分野は自分には違うということを、この頃にやっとわかり始めた。人生ふらふら迷い道。
それで今度はビジネスをやってみようと、起業の方向に舵を取ったのが29歳のときでした。
当時、香港のビクトリアハーバーをのぞむ52階の高層高級マンションに住んでいました。「人生の天下取ったな、ふっ」…と悦に入ったのもつかの間でした。
社長失敗からの離婚危機
イギリスで出会った中国人の妻と国際結婚したのもその頃。
日本と中国の両方で結婚式を挙げ、まさに人生絶好調! ただそれも栄枯盛衰の流れには逆らえません(なぞ)
彼女も自分ビジネスに興味があったので、日本で一緒に何かをやることにしました。
起業の基準になったのは「儲かりそうなこと」。
当時、中国で販売されていた女性用のドレスは、日本よりもかなり安く、これを仕入れて日本で売ればボロ儲けできると思って始めたのが、当初のきっかけでした。
それが間違いのすべての根源でした…。
常に商品に対して興味がないのと、商品そのものに自信がなかったので、お客さんからクレームが来るんじゃないかといつもビクビク。仕事やりたくなーい!っていう声が心のなかにずっとコダマしていました。シゴトヤメタイシゴトヤメタイシゴトヤメタイ…。
ただ事業としては始めた当初うまくいったので、株式会社化し、当初のネットショップだけではなく実店舗のサロンも経営しました。
これをずっと「仕事辞めたい」と思いながらやってた社長。ちょっと笑えますよね。
社長だからいいじゃん!と突っ込まれそうですが、社長だからこそそんなことは口に出せません。
とにかく仕事が嫌いで辞めたかったのですが、一緒にやっている妻は続けたい、辞めたらもったいない、と意見は平行線のまま、私がもう精神的に耐えられなくなったので、社長の座をおりることに。
表面的には私が退くことを妻も認めてくれたものの、やっぱり男性が大黒柱として稼ぐべき、という考えは中国人である妻も変わらず、また、私もそう思っていたため、家族関係は離婚寸前の状態でした。
そして家族離散へ
実際に、私と長男は日本に、妻と次男は中国で生活するという家族離散生活が始まりました。
その間、私は長男をワンオペで育児。もともと家事全般は嫌いではありませんでしたが、この時期に主夫として家事スキルを確立。そして息子の胃袋をがっちりつかみました、ふふふ。
社長を退いてから、いくつか自分ビジネスに挑戦したのですが、心の土台が整っていなかったので、どれもうまくいきません。
たとえば、スピリチュアルや見えない世界にのめり込み、それに関連した不思議な施術を仕事にしようとしたこともありましたし、数字が踊る各種SNSに引っ張られて一攫千金を狙おうとブログ記事を量産していた時期もありました。
ちなみにこの施術道具、60万円かかりました。これ自体、悪いものではないのですが、今思えばもっと他にお金の使い道あったろうにと思います。
そして稼ぐ必要性から私はふつうの会社員となり、自動車メーカーのホンダでSNS全般とオウンドメディアを担当する仕事に就きました。ここでSEOの基礎を固めたり、ウェブ記事制作のノウハウや動画編集の基本を学びました。
ただ、クルマやモビリティに強い興味があったわけではなかったので3年で退社(じゃなぜ入った)。割といろんな企画やイベントを好き勝手やらせてもらったのですが、ずっと会社にいるのは違うなと感じたのでした。
また、縄文にハマったのもこの頃。
毎週末、息子をつれて、縄文土器を所蔵している博物館・美術館・資料館を片っ端から回り始めました。息子くん、パパの変な趣味に付き合ってくれてありがとう、退屈だったろう…。
家族のほうは、コロナ禍も重なってまったく行き来ができなかったにも関わらず、なぜか離婚はしませんでした。きっと何かの縁なのでしょう。
迷走専業主夫の復活劇
結局、中国で家族が合流することになり、私の専業主夫としての生活が始まりました。
時間に余裕ができたこともあり、私は自分自身と向き合って対話する時間をしっかり取れるようになりました。
毎朝の習慣として30分前後の瞑想も開始。迷走主夫が瞑想したわけです、めいそう主夫がめいそうね、はい。
今では、自分軸で生きることを学び、毎日が子どものようにワクワクする楽しい日々を過ごしています。
時間が足りないくらいやりたいことがたくさんあります。夫婦仲も円満で、平日も週末も同じように楽しく、仕事に対する意欲にも満ち溢れています。
そして、長男につづき次男の胃袋もがっちりキャッチしました、ふふふ。
起業塾に入って3ヶ月目で11万円、4ヶ月目で36万円を稼ぐこともできました。
さらに、将来こんな世界を実現したいという夢もできました。小さなころから憧れていた夢、やりたいこと。
それは私の心の中にずっとあったものだったので、魂が持っていた夢に気付いた、といえるかもしれません。それに向けて自分ビジネスをゆっくりとですが、進めている最中です。
ちなみに、私が実現したい夢というのは、縄文時代のような世界・社会をつくること。
といっても、狩猟採集をして、土や木の家に住むという話ではありません。
目指したいのは縄文の精神性、心のあり方。
誰もが自分の好きなことに自由に挑戦しながら、日々生きる喜びと成長を感じて、輝いて生きている。豊かな自然とうまく共存し、全員がアーティストとして楽しく遊ぶように、エネルギッシュにワクワクと生きている。
そんなコミュニティをつくりたい。社会をつくりたい。世界をつくりたい。
そのために自分ビジネスを進めていこうと思っています。
なお、その縄文ドリームの詳細については、下記に書きました。ぜひご覧ください。
Special Thanks!
なお、このプロフィールは「繊細さんのおうち起業」をやられているゴーブのりこさんに添削・指導いただいたおかげで、分かりやすく読みやすいものになりました。どうもありがとうございます!